松江開府の祖、堀尾吉晴公とその一行が松江城に入城する様子を再現した松江武者行列です。参加者の募集や行列のコース、関連イベント、当日の交通規制など武者行列に関連する情報を発信します。

登場人物相関図・役柄

母衣武者 │ ほろむしゃ


鎧 (よろい) の背に母衣をつけた武者のことで、母衣懸け武者ともいう。



相関図の登場人物

キャストについて
※役柄設定については、堀尾吉晴の活躍を描いた「戦国はるかなれど」に準じています。

堀尾吉晴公 (ほりおよしはる)
信長や豊臣秀吉に従って、姉川、長篠、山崎など多くの合戦に出陣し功をたて、とくに秀吉が明智光秀を討った山崎の合戦における鉄砲隊を率いた天王山争奪をめぐっての活躍は有名。
その人となりについては、通称を茂助といい、容貌は端正、性格は温厚であることから「仏の茂助」と呼ばれたと伝えられている。
しかし、ひとたび戦場に立てば勇敢に戦う武勇に優れた人物であり、「鬼の茂助」と呼ばれ、幾多の武功をあげる。

大方様 (たいほうさま)
吉晴の奥方。内助の功の人として有名。
松江城築城時には、難工事である石垣の石を運ぶ人夫のやる気を促すため、私財を投じ、石を一つ運ぶと握り飯を一つ渡しやる気を促したという。

堀尾忠氏公 (ほりおただうじ)
吉晴次男。眉目秀麗、才気あふれる初代藩主。
関ヶ原の前哨戦でも活躍し出雲隠岐 24 万石を拝領。

長松様 (ちょうしょうさま)
忠氏の奥方。豊臣五奉行の一人、前田玄以の娘。
教養と美貌を兼ね備えた人であった。

古屋姫 (こやひめ)
吉晴次女。
のちに、家康家臣、石川忠総に嫁ぐ。

寄騎 : 則武三太夫 (のりたけさんだゆう)
猛将、太刀打ちの名人であり、山崎の合戦など数々の武功を上げる。
武田を裏切った小山田信茂の首を打ち取ったとされる。

家老 : 堀尾但馬 (ほりおたじま)
吉晴の従兄弟。
家老にして、名高き堀尾鉄砲隊を率いた。堀尾一族の年代記「堀尾古記」を記す。

勝山(かつやま)
吉晴長女、家老・野々村河内守の正室。

堀尾忠晴(ほりおただはる)
忠氏長男、松江城初代城主

松田左近(まつださこん) / 忠氏公付き黄母衣武者
支城である赤穴瀬戸山城主(飯南町)、数々の武功を上げ、福島正則とも親交があったという。

堀尾氏光(ほりおうじみつ) / 忠氏公付き黄母衣武者
支城である三刀屋尾崎城主(雲南市)、吉晴の弟。
浜松城時代にも支城二俣城を治めた。

野々村河内守(ののむらかわちのかみ)
筆頭家老にして月山富田城代、正室は吉晴長女勝山。
松江大橋、大手前の 2 か所にて会場の実況を担当。

奈良伊織(ならいおり)
関ヶ原の直前、吉晴が石田三成の刺客との間におきた事件に巻き込まれ刀傷を負ったときに、いち早く駆けつけ救い出した。吉晴の左頬の傷はその時のものであったと言われる。


特別参加団体

堀尾吉晴・忠氏、堀尾衆 160 名以外に特別に参加される皆様。

「参陣武者隊」
「自前の甲冑衣裳」を持ちこんで参加される皆様。今年は 4 名が参加。


古式火縄銃演武参加団体

「松江城堀尾鉄炮隊」
堀尾吉晴公の鉄砲隊による活躍に起因して、松江開府 400 年を記念し、有志が集い結成された鉄砲隊にてござる。


松江 武者行列